私がプロのバレエダンサーを目指したきっかけ
こんばんは!紗羅です。
前回のブログで「バレエダンサーを目指す」事についてお話したのですが、その途中で言っておりました、
『私がプロのバレエダンサーを目指すようになったきっかけ』を今日はお話します。
私は4歳でバレエを始め、もうバレエ大好きで家の中でも飛んで跳ねて回って(あ、それはバレエ始める前からかも、、笑笑 )という感じでですね。
もうバレエを始めてからはずーっと将来の夢、
"バレリーナ"でした。
小学校4年生からコンクールに出始めて、まあ辛い思いや悔しい思いも沢山してきましたが、それでも「バレエを辞める」という選択肢はまず無かったですし、バレエをやっていない自分というのが全く想像つきませんでした。
私の場合、親がやらせたかった訳ではなく自分からやりたいと言い始めたものなので、親からはずっと「いつでもやめていいんだからね〜」と言われていました😅
まあそりゃあそうですよね、バレエお金かかるし。
それでもバレエが大好きで大好きで絶対やめない!!と言っておりましたので、中学校に入っても当たり前に続けておりました。
そして中学2年生になる頃ですかね、5回目のコンクールが終わって。
なんだか気付いたら同い年の仲良い子達がどんどん入賞していて。
あれ?自分なんだか取り残されてる、、?
この間まで一緒に客席に座って受賞者に拍手してた筈なのに、その子達は今舞台の上にいる。
あれ、、?って思って。
なんだか呆然としちゃったんですよね。
自分才能ないのかなって思ったり。
まあそれでもバレエをやめるという選択肢はなかったですけど。
元々コンクールはあまり好きじゃなくて。
私は舞台でお客さんの前で踊るのは大好きですが、審査員の前で踊ってそれを点数で評価されるのが正直嫌でした。
発表会などで踊った時は母や周りからも「紗羅ちゃんは本当にバレエが好きなんだなっていうのが踊りで伝わってくるよ」と言われました。
その言葉が本当に嬉しくて。
でも当時はコンクールで入賞しないとプロにはなれないと思っていたので、余計に「なんでコンクールで決められなきゃいけないんだろう」と落ち込む事もありました。
今考えたら、アンタ何言ってんのと喝を入れたいですが笑笑
地方なのもあって、全然新しい情報も入ってきていませんでしたし、まだまだ古い考えでしたね。
でもその時に心の中で
「来年のコンクールで入賞出来なかったら、プロになる事を考えよう」
と思いました。
まあ理由として来年は中学3年生、受験生です。
その時はまだどこの高校に行くか決めていなかったし、本気で受験勉強をするならバレエは少しお休みしないといけなくなるだろうという事で。
それから自分に出来る努力は全てしました。
いつも頭の中はバレエでいっぱい。
そんな1年間でした。
そして、1年後のコンクール。
私は審査員の前ではなく、お客さんの前で踊っているんだと思いながら踊りました。
客席の上の方まで届けるようにして。
ギリギリですが、入賞する事が出来ました。
名前を呼ばれた時は驚いたような分かっていたような、不思議な気持ちでした。
でも本当にやっとだ!やっと努力が結果に出た!と嬉しかったです。
そこから有言実行、「よし、プロを目指そう」と思いました。
(まあ、今考えるとそのコンクールもちゃんと実力で審査されていたかと言われると、、という感じなのですが笑)
両親も勿論私には言いませんでしたが、結果が出ないものをやらせ続けるという事は厳しいし、普通に大学に行って就職して欲しいと思っていたでしょう。
バレエを全然知らなかった両親もさすがにその頃にはバレエは食っていけない、でも踊れなくなるリスクはずっと付き纏う職業である事は分かっていたと思うので。
なのでこの入賞をきっかけに諦めてプロになる事を本格的に応援してくれるようになりました。
「プロ目指すなら死ぬ気でやれよ」と。
でもここまでやめさせずに続けさせてくれた両親には本当に感謝しかありません。(私の頑固さもある)
これが私がプロを目指すようになったきっかけです。
今思うとおいおい、、ってツッコミたい所ばかりですが、あの時入賞していなかったらバレエをどこかのタイミングでやめていたかもしれないし、私は今こうしてプロとして踊っていなかったと思います。
奇跡のような事です。
こうして今も様々な場所で踊り続けている訳ですが、先程言った"踊ることが大好き。見ている人を楽しませたい。幸せにしたい。"という気持ちは常に持ち続けています。
これからも自分の技術を上げながら世界中の人を踊りで幸せにしたいと思います。
ベトナムツアーをした時のバレエを初めて見た子供達のあのキラキラした目はずっと忘れられません。
もっともっとそのような子達にも届けたい!
そんな私の夢を応援したい!一緒に叶えたい!
と思って下さる方は是非みなとシティバレエ団のコミュニティに参加して舞台制作のリアルな裏側やリハーサルの様子など見るだけでなく、自分の意見を出してみんなで話し合ったり、自分の得意分野を使って制作に参加したりなど、新たな形で関わっていきましょう!
私の個人ページ
クラウドファンディング - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)
バレエ団のページ
みなとシティバレエ団公式 支援者コミュニティ - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)
仲間が増えれば増えるほど、みんなの夢を叶えることが出来ます。
是非チェックして、参加して頂ければ
思います。
宜しくお願い致します。
ではまた👋🏻
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Sara Ichihara𓅦 (@SARA49063582) | Twitter
バレエダンサーを目指す
こんばんは。
今日は"バレエダンサーを目指す"という事についてお話したいと思います。
これはバレエダンサーを目指す方だけでなく、自分の子供がバレエをやっている、これから習わせたいなど思っている方にも是非読んで欲しいと思います。
今は2歳頃からバレエを始める子供も多いですよね。
私の教えているスクールでも2歳から始められますが、まあそういうのは大体両親がやらせたいという理由だと思います。
(私は2歳でやりたいと言いだしたので、そういう子もたまにいる)
丁度バレエを始めるぐらいの頃
で、バレエをお稽古事として続けていると、あるタイミングでお稽古事として続けるかプロのダンサーを目指すかの2つに分かれます。
ちなみに私は中学3年生と少し遅いタイミングに本気でバレエダンサーになろうと決めました。
それまでの11年間ぐらいは漠然とバレリーナになりたいとは思っておりましたが、、
その理由も後々ブログでお話しますね。
「プロのバレエダンサーを目指す」
上でまず1つ目の選択肢は
日本か海外か
これは1つ目にしてとっても重要な問題です。
そりゃそうですよね、日本に住むのと海外に住むのでは全く違うし、言語・環境、、様々な問題があります。
勿論若く、まだ親の元で生活している子が大半ですから、自分1人の意思で決める事も難しいですよね。
ですが、今は海外で踊る事を目指す子供が多いです。
何故でしょう?
答えは
『日本ではバレエで生活していく事が出来ないから』です。
勿論海外では十分なお給料を貰ってしっかり生活していけるのかと聞かれると、まあそうでもないのが現実ですが、、
日本よりはしっかりと仕事としてお給料は貰えます。
日本でバレエダンサーをするとなると、ダンサーの他に教えの仕事やアルバイトをしながらではないと、生活していけません。
特別お金持ちで全て親が負担してくれる人もいるかもしれませんが、大半はそうではありません。
まあ、いい大人がいつまで親のスネかじってんだよと私は個人的に思いますが。
まあ、教えの仕事も今は供給過多なのででこれからはもっとやりづらくなるでしょう。
まあ、そういう現実を突きつけられると本人も、まあ特に親御さんは心配ですし、そりゃあ安定した職業に就いて欲しいと思いますよね。
ダンサーなんて当たり前に寿命がありますし、さらにいつ故障して踊れなくなるかも分からないような仕事ですから。
バレエダンサーを目指してバレエしかしてこなかった人が突然踊れなくなったらどうやって生きていけばいいの?と呆然とするでしょう。
だからこそ今の時代バレエだけではなくて、色々趣味や特技があればあるほどバレエが出来なくなっても生きていけるようになるという事ですね。
でも、そうやって海外で踊る事を目指すダンサーが多い中で、でもやっぱり日本で踊りたい!と思う人も沢山いるんですよ。
生活は厳しいけど、生まれ故郷である日本で!という思いを持つ人は多いと思います。
まあだから日本のバレエ団で踊るダンサーも沢山いるんですけどね。
なので、そこでまず選択しなければなりません。
"生活出来ないけど日本で踊るか"
"言語も環境も全く違う海外で踊るか"
でも、そもそもこのような極端な選択をしなければならないこの状況が間違っていますよね。
日本でも十分に生きていけるようにすればいいじゃないと。
私もこれはぶち当たってきましたし、正直もう仕方ないし、当たり前なんだろうと思っていました。
だって何十年もこんな感じだから。
ずーーっと、日本ではバレエで食っていけない。
でもそれはバレエをしてる人しか知らない。
世間はバレリーナやってますと聞くと凄いね!って言う。
私達はそこでバレリーナは食っていけない事を言えないんです。
あのモヤモヤした気持ち、これは本当に誰もが経験してきたと思います。
本当は胸を張ってバレエダンサーをやってますと言いたいんです。
でも私は今その歴史が変わると思っています。
この長い長い日本のバレエの歴史が変わる時だと。
団長に出会って、みなとシティバレエ団で活動していると、私達ならこの現状を変えられる!
そう思います。
今までと同じ事をしていても変わりません。
何か自分達で動き出して新しい事をやっていかないと、荒波に漕ぎ出していかないと。
何十年も変わってこなかった事です。簡単ではないと思います。
でも私達がやらなかったら、誰もやりません。
そうすると今のダンサーを目指す若い世代は私達と同じ思いをしなければならなくなります。
それは絶対に良くない。
だから私達は挑戦します。
まずは今回のコミュニティが第一歩です。
これを成功させればバレエで食っていけないという概念が大きく変わります。
私、一原紗羅の支援はこちらから
クラウドファンディング - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)
バレエ団への支援はこちらから
みなとシティバレエ団公式 支援者コミュニティ - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)
歴史を変える大きな一歩になります。
私はその奇跡を成し遂げたいし見たい。
このコミュニティに参加すると歴史が動く瞬間を間近で見られます。
是非一緒に奇跡を作りましょう。
宜しくお願い致します。
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バレエへの想い
こんばんは。紗羅です。
今日はバレエについての想いをブログにしました。
以前も何度か書いておりますが、高校2年生の時にロシアのノボシビルスクに留学してたんですね。
【ロシア留学記シリーズ】
ボリショイ劇場より大きい、ロシア最大の劇場です。
内装もとても綺麗!
で、その留学中すぐそばにある劇場でバレエ公演を見に行く事になって。
初めて見に行った日に衝撃を受けました。
"お客さんにバレエ関係者が全然いない!!!"
バレエの公演など見に行かれたことのない方は
え?普通じゃね?と思うかと思うのですが、
実は日本のバレエ公演。
ほぼバレエ関係者しかいません。
勿論バレエをやっていなくてもバレエが好きで見に来る方もいますが。
〜バレエ公演を見に来る人〜
①バレエキッズ、バレエ女子
②バレエダンサー
③バレエの先生
④出演者の家族、親戚、友達
⑤バレエが好きで見に来られる方
こんな感じで、見に来てる人は明らかにバレエやってますよね、という人達ばかりなんです。
一般の方と言っても、高いチケットを買って見に来て下さる、本当にバレエが好きな方ですね。
なので、ロシアでその光景を目にした時、本当に驚きました。
地域のおじいちゃんおばあちゃんや家族連れだったりとバレエをやってなさそうな人達ばかりだったんです。
みんな映画を見に行く感覚で週末の楽しみとしてバレエを見に来ています。
私は驚きと同時に
「日本のバレエに対する概念もこのようになれば!」
と強く思いました。
こんな風になりたいと感じたんですね。
でもあとで考えてみて、「日本のバレエ界って何十年も今と変わらずこういう感じだよな〜。
何十年も変わらないんだから無理なのかな〜」
とちょっと諦めモードになりました、、
その時はね。
でも今は違います!!
今所属している、みなとシティバレエ団で活動していると、「自分達が日本のバレエ界、変えれるんじゃない!?」と思うんです。
諦めかけていた夢を実現出来るのではないかと本気で思います。
バレエという素晴らしい芸術を日本の多くの方に気軽に見て欲しいんです。
そんなにチケットも高くせず、お手頃な価格にして。
「あ!今週は白鳥の湖やってる!見に行こ〜」
ぐらいのノリで人々がバレエを見に来られるような社会を作りたいんです。
このバレエ団はそれを実現出来る!
そう思いますし、今回のコミュニティがその第一歩になると思います。
どのバレエ団よりも皆さんと近い距離で関わっていけたらと思いますので、まずはこのコミュニティに参加して!
私達と一緒に夢を叶えていきましょう!!
コミュニティは明日
《 5月1日(金) 12:00~ 》
公開されます!!
こちらから内容をご覧頂けます
↓↓↓
クラウドファンディング - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)
私と同じように、
"誰もやってこなかった事をやりたい!"
"それが出来なかったから応援したい!"
と少しでも思って下さる方、このコミュニティは日々成長し、大きな壁に挑んでいく私達の姿を間近で見ることが出来ます。
皆さんと一緒に成長していく
みなとシティバレエ団になります!
宜しくお願い致します!
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21
こんにちは👋🏻
もりもりブログを書いていきます!
さて、今日は。
私先日の23日に21歳の誕生日を迎えました。
21歳です。ハタチが終わってしまいました。
あっという間でした。
このコロナの状況もあり、今年の誕生日は1人かぁ〜と思っていたのですが、、
バレエ団のZoomレッスンが終わったあと、みんなで普通に作業していたら突然真っ暗になって。
私1人で「ブレーカー落ちた!?」とか言ってましたが、違いました。
みんながサプライズでケーキ持って登場して下さいました🎂
びっくり。
本当にありがとうございました!
21歳になった訳なんですけれど、まずは20歳の振り返りから。
20歳は激動の歳でした。
バレエ団は今のみなとシティバレエ団の創立メンバーとして参加し新しい人との出会いも増え、有難いことに沢山踊る機会も頂きました。
バレエスクールでも発表会があったりとドタバタしておりました。
自分を取り巻く環境が大きく変わり、何より自分自身が変わったと思う1年でした。
さてそんな20歳もあっという間に終わり、今度は21歳です。
まだまだ21歳ですが、本当に21歳では経験出来ないような事を沢山させてもらっています。
若いうちに沢山経験することはとても大事ですし、これからの自分の可能性を広げていくものだと思いますので、21歳ももっともっと新しい事にチャレンジしていきます!
かっこいい、、(関係ない)
今、1年後2年後自分がどこにいて何をしているのか全く想像が付きません。
でも、それが人生の面白いところ。
先の見えた人生なんて面白くないじゃないです
か。
見えないからこそ面白いし、色々な事にチャレンジ出来るんです。
私、自分がいつ死ぬか分かりませんが
死ぬ直前に起こると言われている走馬灯で、
『ああ自分本当に色々な事やってきたなあ。やりたい事全部出来て良かった。』
と思いたいんです。
私は特にやりたい事が多いので。
なのでまだ21歳なんて言ってられないんです。
私のやりたい事全てをやるには100歳(そんなに生きられるかは分かりませんが、、)でも足りないと思います。
タイムリミットがある物も沢山ありますし。
今からでも出来るものにはチャレンジしていきたいと思いますし、充実した人生を作っていくのは自分自身。
それをしっかり頭に入れて21歳は過ごしていきます。
あとは、強い芯が1本通った人間になりたいです。
誰にも曲げられない強い芯。
そんな人に憧れ、尊敬し、自分もそうなりたいと強く願うので、そんな人に向かって毎日生きていきたいと思います!
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。
皆さんのあたたかいメッセージや応援にいつも力を貰っています。
21歳の紗羅さんもどうぞ宜しくお願い致します。
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新しいレール
お久しぶりです。
2ヶ月ぶりとなってしまいました。
私がブログを書いていない間に世の中は大きく変わりましたね。
本当にコロナには困ったものです。
世界中が大混乱ですよ。
多くの会社が倒産の危機であったり仕事が無くなる人が大勢いたりですが、勿論バレエダンサーもその影響を受けているわけで。
世界中のバレエ団は公演が中止になり、スタジオにも行けず、お家でレッスンをしているというような状況です。
お家でレッスンって言ったってまあ狭いし、そこそこ広い家でも飛び回れるかと言われたら大抵無理なので、、
体の維持をしなければならないダンサーにとってとても厳しいです。
私の家も無理です。
それより、日本のバレエダンサーはお給料が出る所でも大抵は1公演いくらという形が多いです。
(まあそもそもお給料自体貰ってないダンサーがほとんどですけどね笑)
で、公演がゼロになると当たり前にお給料もゼロになる訳なので。
ゼロですね。
困りました。
男性ダンサーなんて、発表会のゲストの仕事が多いので、公演無くなったら、、
そういう事です。
いや、生きていけません。
どうしよう。
そこでですね!!
今回私が所属する、みなとシティバレエ団が新たにオンラインサロンを作りまして。
一体また何をするのかと言いますと、バレエ団だけでなくダンサー個人を支援する事が出来る仕組みを作りました!
これは日本のバレエ団では初の試みとなります!
簡単に説明をすると
①バレエ団に月額で支援をする
②ダンサー個人に月額で支援をする
この2つがあります。
これらに支援するメリットを簡単にまとめました。
【①バレエ団に月額で支援をする】
1,000円/月
◎バレエ団のFacebook非公開グループに参加
↓↓↓
・カンパニーレッスンを繰り返し視聴可能
・非公開グループ限定の生配信
・リハーサルの様子
・新作の内容等を先行配信
・月に一度の交流会(こちらは今の状況が落ち着いたらですが😭)
など、他にも色々とやっていく予定です。
【②ダンサー個人に月額で支援をする】
2,000円/月
◎バレエ団のFacebook非公開グループに参加
↓↓↓
こちらは①の内容ですね。
◎ダンサーからリターンが届く
↓↓↓
こちらはお礼の手紙や動画であったりとダンサー別に様々なリターンがあります。
同じようなリターンでもそれぞれ個性溢れるものになり、毎月楽しんで頂ける内容になると思います!
そして、ダンサー個人に月額で支援するとその支援金の半分がダンサーの月給になるのです。
これは本当に面白い仕組みだと思います。
支援者が増えれば増えるほど自分の月給が増えていくという夢のようなシステムです。
そんな、オンラインサロンがですね!
5月1日(金) 12:00 公開です!!
なんですが、今こちらのURLでリターンの内容などを見ることが出来ます!
団長の熱いメッセージも書いてありますので、是非ご覧になって頂ければと思います!!
↓↓↓
クラウドファンディング - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)
うちのバレエ団、皆様もよく知っておられるように毎回毎回新たな試みをしております。
うちの団長、岡脇柚太加が "バレエの民主化" を目指し、日々考え考え考え試行錯誤しながらやっております。
また今度はどんな事やってるんだろ?と一度覗いて見ていって下さい!
また面白いことやってます。
前にもこのブログで言いましたが、私は新しい誰もやったことのない事をするのが大好きなんです。
敷かれたレールの上を歩く人生なんてつまらない。
自分で1からレールを作って歩いていきたい。
そう私は思うんです。
誰もやったことの無い、新しい事にチャレンジしている瞬間って本当に本当に楽しいんです!
生きてる!という感じがして。
だって正解がないですから。
こうすれば正解というのが誰も分からない状態で挑むのが醍醐味なんだと思います。
そんな好きな事を大好きなバレエと一緒に出来るというなんとも人生を面白くするような事を今やっているのだろうとワクワクします!
なので、この試みだけでなく勿論踊ることも楽しみながらやっていきたいと思います。
久しぶりのブログでこんなに長々と書いてしまいましたが、中々一言ではまとめられず、、
また近々更新していきますので、皆様体調には十分お気を付けて😷お過ごしくださいね。
これからもどうぞ宜しくお願い致します!
ではまた👋🏻
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バレエ教室での思い出
こんばんは!紗羅です。
最近はなんだか暖かいんだか寒いんだか分からない天気が続いていて、体調管理も難しいですね、、
皆様も体には気を付けて下さいね。
今日は、バレエのお話をしようと思いまして。
何にしようか考えた所、北海道にいた時に5歳から通い続けていたお教室での話をしようと思います。
以前のブログでも話した通り、私は4歳からバレエを始めたのですが、最初の1年は区民センターのバレエ教室に行っていました。
で、1年続けて私がちゃんとしたお教室に通いたいと言った事により、バレエを本格的に始める事になりました。
バレエを始めたきっかけの記事はこちら↓
ちゃんとしたお教室に通うという事になり、様々な所に体験をしに行きました。
そして最終的にそのお教室に決めた理由としては、まず私が気に入った事、そして父の当時の職場が近かった事からそこに決めました。
そんな理由で入ったので知らなかったのですが、後から実力のあるスクールで先輩達もとっても優秀だった事を知りました。
中学3年生の時に踊った「パキータ」
スクールでの思い出は山ほどありますが、私の先生は『お金に優しく、人に厳しい』方でした。
本当にバレエが大好きで四六時中バレエの事を考えているような方で、たまに宝くじを買って当たったらスクールの事に使おうとまでしている方でした。
お月謝も普通のスクールより安く、え?ほぼ毎日来てるのにこの値段!?と今では思う程です笑
「親にとっては有難いよ。」by 母
そんな先生ですが、バレエの事となると死ぬほど厳しい人でした。
まずは、礼儀から。
挨拶・先輩後輩関係などとても厳しかったです。
いわゆる"体育会系"ですね。
先生がスタジオにいる間は床に座らないなど、色々ありました。
当時はそれが当たり前だと思っていましたが、そうではなかった事を知り、やや衝撃を受けましたが、今ではそのように教育されてきて良かったとしみじみ思います。
未だに物凄く記憶に残っている事があって、キッズクラスから小学校1年生クラスに上がって初めてのレッスンに用事の為、遅れてしまったんですね。
で、それを事前に連絡してあったので何も心配せずに、おはようございますとスタジオに入った瞬間怒られてやり直し。
でも私は何も分からず、軽くパニック状態。
申し訳なさそうな感じが足りなかったのかな、、?と思ってやってみましたがダメでした笑
結局先輩がお手本を見せてくれて無事に入室した訳なんですが。
事前に言ってあるなど関係無く、遅れて入ってきた時は「遅れてすみません。」と言わなければならない事をその時初めて知りました。
(その後は優しくレッスンを見て貰いましたよ)
これは衝撃的だったのか、凄く記憶に残っています。
初めての発表会。花ワルを踊ったのですが、全員で出遅れてしまい、終わったあとやり直したいと泣いていたそう。
あと、これは笑えるんですが私の先生はバレエのピケターン(自転しながら、円に沿って進むパ)で【絶対に鼻水をすすってはいけない】という方針でして。
鼻水は飛ばしていいから!といつも言っていました笑
そして、ある日レッスンでピケターンをした時に、鼻水が垂れてきたと思ってバレないようにちょっとすすりながら回ったんです。
ですが、やはり先生は何でもお見通しでバレてしまいました。
回り終わって「鼻すすらない!」と怒られたその時、ツーっと垂れてきたのは鼻水ではなく、鼻血でした。
あれま。
先生びっくり。
鼻血だー!!ってなり、急いでティッシュで止めました。
後で先生からごめんねと笑
周りのみんなも大爆笑でした。
「花園」を踊った時の
本当にいい思い出も悪い(?)思い出も沢山ありますので、またご紹介したいと思います。
いつも長々と書いてしまって、、最後まで読んで下さっている方は本当にありがとうございます!
気付くと文章がスラスラ出てきてガーって書いてしまっています。
では、また次のブログでお会いしましょう😊
ドリルの一原
こんばんは。紗羅です。
またまたお久しぶりになってしまいました。
すみません、三日坊主です。坊主坊主。
今日は題名の通り、"ドリルの一原"について。
私のあだ名です。
で、なんでこのあだ名が付いたかと言いますと、今のバレエ団のスタジオに移って来たばかりの時、床はコンクリートのまま、バーなんて勿論付いていなかったので、全部自分達で床材を貼り、バーも取り付けたんですね。
で、そのバーを取り付ける時に振動ドリルを使ってコンクリートの壁にガンガン穴を開けていた為、このあだ名が付きました笑
銃かいな笑笑
以前お話したかもしれませんが、私昔からDIYが好きで工具とか使うのが楽しくて。
全然女の子らしくないですね、、笑
だって生まれて初めての将来の夢が「ペンキ塗る人」ですもの笑笑
周りがプリキュアとかプリンセスとか言っている時に。
中学校の技術の成績もいつも良かったです。
恐らく父の影響だと思います、実家にドリルや電動ノコギリなど沢山あったので。
あとは、プラモデルとかも好きですよ!
バレエダンサーにこんなのいるのだろうか😅
変な人ですね。
床材を貼る為の接着剤を塗っている様子 with社長
こう見えて私結構集中力がありましてね、好きな事にはガーっとのめり込むタイプです。
例えば読書もそうで、1冊読むとなると1日で読み終えます。
キリのいい所まで食べる事もトイレに行く事もしないぐらい集中します笑
最近やっているYouTubeの編集もそうですね。
1本完成させるまでは休憩しません。
なので、このドリルの時もとっても集中してやっていましたね。
ただ体力も使うのでちょっと疲れましたけど笑
これは金具にカラースプレーをかけているところ
好きな事に没頭出来るこの性格は自分でも好きです。
仕事でも同じですし。
好きな仕事をすれば、物凄いスピードでこなす事が出来るという訳ですから。
効率の悪い事はあまり好きでは無いので。
あ、でもゆっくり飲み物飲んだりなど休憩も好きですよ☕️
ただ、そういう人は自分の限界が割と麻痺しているので、体を壊さないように気を付けたいと思います。
体壊したら元も子も無いので。
もう体の一部と化しているドリル
そんなこんなで一体何の話だったんだという今回の記事ですが、よくSNSで言われている「ドリルの一原」の由来が分かって頂けたかと思います。
ちょっと最近スタジオのバーが緩くなってきているので、出動しないとな、、
その様子はまた沢山上げていきますので、楽しみにしていて下さい(そんな事を楽しみにしている人なんているのだろうか笑)
まあ、少なくとも私はドリルをするのが楽しみです!
また更新頻度も上げていきたいと思いますので、また近々👋🏻
最近コロナやインフルエンザが流行っているので、皆様お気を付けて!